日記・雑記

うちの会社、この会社

会社の文化についていけません

最近の激務の原因となっているトラブルの対応をするにつけ、会社の上層部に対する不信感が溜まっています。

なんだろう、間違っていることは言っていないのです。

でも、思いやりがない、感謝がない。

会社の利益が減るだろ、お前がかぶってでもなんとかしろ、その分補填しろ、みたいな、そんな感覚なのです。

それは、会社としてはごく普通の行為かもしれません。でも、私にはついていけない。

相手を罠にハメておいて、自分は何も悪くないと相手を一方的に責める姿勢に見えてなりません。

私が好きだった会社はもうないのかもしれない

私の会社は、本来はとても良い会社で、今でも人気があります。

勤めている人たちも、同僚はとても良い人たちです。直属の上司も大変素晴らしい方で尊敬しています。

そんな素晴らしい会社ではあるものの、正直上層部にはついていけません。

勘違いかもしれませんが、社長に対する不信感があります。過去の社長はまだよかった。でも、今の社長からはなんとなく冷徹なものを感じてなりません。

うちの会社、この会社

以前、かつての上司に教えてもらったことがあります。

自分が勤めている会社をどう表現するかで、会社に対する忠誠心が変わるというものです。

「うちの会社」という表現を使う場合は忠誠心が高く、「この会社」という表現を用いる場合は冷めた目で見ている、というものでした。

これ、とてもよくわかります。私は以前は「うちの会社」という表現をよく使っていました。

でも、最近は心の中で考えるとき、「この会社」という表現を使っています。

決定的だったのは管理職研修の時

決定的だったのは、管理職になった時に受講したウェブ研修でした。

それは管理職研修というよりは、評価制度の変更説明の研修だったのですが、そこで用いられていた表現に強い違和感を感じました。

詳しくは書けませんが、表現としては

あなた個人のことは大切にしないよ、会社は会社の歯車として成果を出せる人間を求めているよ

というメッセージを含んだものでした。

この言葉を聞いて、ああ、もうこの会社には人を大事にしようという心までなくなってしまったんだな、と思いました。

この言葉を誰が発案したかはわかりませんが、人事、上層部は見ているはずです。

そして、この言葉をそのまま良しとした。もうそんな会社に忠誠を誓うことはできないな、と感じました。

第二の人生を歩むときが近づいています

私が退職を決意したのは2021年3月なので、もう1年以上がたっています。

そのときは単にFIREをしたいというもので、会社に対してそこまでの不快感を持っていたわけではないのですが、先ほどの研修内容をうけて、退職への考えをより固めた形になります。

そして、今回のトラブル対応でますますその決意が固まりました。

いつ退職するかはまだわかりません。精神が持てば当初の計画通り2024年になると思います。

ただ、メンタル的には会社との距離を感じており、第二の人生に向けて気持ちを切り替えていこうと考えています。

 

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