FIREについて思うこと

散歩しながらFIRE後の生活を想う

昨日の記事の動画のコメント欄を見て

昨日、FIREして感じる、想定外だったことという記事で、FIRE生活をしているトピピさんの素晴らしい動画について紹介し、私もそのようになれるのではないか、と希望を持って感想を書いていたのですが、この動画のコメント欄をみると、そうでもない人もいて気になりました。

コメント欄の中には、FIREして暇だと言う人や、稼ぐ能力が高いことを羨むコメントも有り、やはり個人差はありそうだ、と感じました。

FIREは目的ではなく手段

やはり、FIREをどう捉えるかが最も重要なのではないか、と感じています。

今の会社が嫌だ、仕事したくない、遊んで暮らしたい、だからFIREするんだ!という考えでFIREしてしまったら、きっと暇になって、充実した人生にはならないのではないか、そんなことを考えます。

また、それ以前にそのような考え方ではそもそもFIREに到達することすらできないのではないか、そんなことを思ったりします。

FIREするには相当な資産を築く必要があり、そのためには長期に渡る節約や、投資に関する継続した努力が不可欠ではないか、と感じており、FIREそのものを目的化してしまうと、現状から逃げるためにFIである経済的独立を達成する前に仕事だけ辞めてしまう、その結果、後悔するということになりかねない。そんなことを感じました。

私自身は、FIREは目的ではなく、手段と捉えているのですが、では、何が目的なのでしょうか?

それは人によって違うと思いますが、私が考えているFIREの目的は

  • 人生を最大化させること
  • QOLを高めること、

の2点なので、これを軸にどう一日を過ごすか、というのを今から考えています。

規則正しい生活をするために

FIREすると会社勤めでなくなることから、生活リズムはすべて自分次第となります。下手すると、朝方に寝て、昼過ぎに起きるという生活リズムになるかもしれません。

私としては、健康維持のためにも、そんな生活は嫌です。

コロナになって以降、だんだんと仕事前に散歩する習慣が出来てきたのですが、よく通っている公園で、朝6時半からラジオ体操をやっていることに気づきました。

それ以降、早く起きたときはラジオ体操に参加しています。

こんな時間にラジオ体操に参加している人たちというのは、ほとんどが高齢者です。おそらく、8割位は60代以上なのではないかと思われます。私はたまに見かける小学生を除けば、ほぼ最若年層になります。

このラジオ体操というのはやってみてとても気持ちよく。何回か参加するにつれ、生活リズムを整えるためには最高の時間なのではないか、そう考えるようになりました。

私がFIRE生活を始めたら、間違いなくラジオ体操に参加することを日課にすると思いますし、そう決意しています。

こういう身近なものについて、自分のために用意されたものではないか、みたいに考える癖が私にはあるのですが、そんなことを考えながら、FIRE生活を夢想しています。

※このような考え方の特性ですが、ストレングス・ファインダーというものの中では、運命思考と呼ばれています。私は運命思考が上位から2番目の資質となっており、日本人にはとても珍しいです。でも、この資質はFIREには向いていると考えており、いろいろなことを考えるにつけ、やはり私はFIREする運命だったに違いない、とそんなことを考えています。

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