FIREに関する面白い動画見つけました。
FIREについての情報をいろいろと集めている中で、Youtubeでこのような動画を見つけました。
FIREは若い人で目指す人が多いように見えますが、正直若い人にとってのFIREはリタイアが目的で、そのために経済的独立を手段として位置づけているように見えていて、ちょっと価値観が合わないので、中高年以上の方の意見を探していたのですが、こちらの方の動画はまさにそのような動画になっていました。
この方曰く、セミリタイア界隈には3つの舐めた幻想があるのだとか。
- 「自由」という幻想
- 「先行」という幻想
- 「勝者」という幻想
なるほど。面白いです。
https://www.youtube.com/watch?v=8cgs7u8JGbM
「自由」という幻想
この方のいう自由という幻想は、こんな感じです。(一部のみ抜粋しています。詳しくは動画を見てみてください。)
- 人間社会にいる限り、本当の自由はない
- 管理下での自由は幸福、放任下での無限の自由は不幸
- 人は自由に生きると確実に病む
- 心の健康も体の健康も管理下だからこその賜物
- なぜなら、人間は社会的動物だから。
- 心の健康も体の健康も管理下だからこその賜物
なるほど。そうかも知れません。すべてが自由だと、それはそれで確かに止みそうです。
ある程度の制限がある中での自由こそが幸せなのかも。
「先行」という幻想
FIREが最先端の行き方、という考え方にも幻想だと行っています。
ここではウサギとカメの寓話を例に、FIREはウサギであり、先行したつもりが結局は負けたのであり、単に反体制的な人がかっこよく見えるだけだ、と一刀両断しています。
私も先行した生き方とは思いません。
「勝者」という幻想
これも面白いです。FIREは勝者を装った敗者だと言っています。なぜなら、そもそも戦っていないから。戦ってもいないのに、勝者にはなれない。戦いを放棄したものは勝者でも敗者でもなく、植物に近いとのこと。
そして、自分が勝つためには他人を負けにしておきたい心理の現れであると。
そのときに使われる言葉が、「リーマン」「社畜」であると。
FIREを目指す人勝ち組どころか実際は負け犬であり、蔑む社畜の方々のおかげで生きることができている、社会ニートではないか、とのこと。
人生の勝敗は最後にしかわからないから、若年期には語れないとも言っていました。
これも厳しい言葉ですが、確かにそのとおりですね。
私の考え
私は概ねこの方と同じような意見を持っています。
FIREという生き方を目指すのは悪いとは思いません。実際、私もそれを目指していますし。
ですが、そうでない方々を「社畜」と呼ぶのは全く違うと思っており、とても違和感があります。
日々電車で疲れた顔で会社に向かう人、帰る人いますが、彼らのおかげで日々の生活が送れているのだと思っています。働いている人みんなに感謝です。
私の中では、あくまでも目標はQuolity of Lifeの向上にあります。人生を充実させること、これが目的です。
経済的独立(FI)はそれを満たす必要条件にはなりえますが、十分条件にはなりえない。早期リタイアは手段にはなりえますが、目的にはなりえない。そう思います。