FIREを考えるきっかけ
私がFIREを決心したのは今年(2021年)3月のことですが、決心したときの決め手が何だったか、ここで書いてみようと思います。
もともと私は20年近く前から投資を続けていて、儲かったり損したりを繰り返しながらトータルでは利益を得ていたのですが、だからといって、投資だけの生活をしようという気持ちはありませんでした。
その気持に変化が生じたのは、おそらくコロナショックの前だったと思います。
当時から投資系のYoutubeをよく見ていたのですが、そこで高配当ETFのことが紹介されており、その文脈で配当金で生活できる、という話が出ていた記憶があります。
ただ、当時はまだFIREという言葉も知らず、FIRE本もまだ広く知られる前でした。
意識し始めたのはコロナショックの頃
コロナショックの前から資産は1億を超えていたので、なんとなくずっと定年まで仕事をすることはないのかな、とそんな事を考えていました。
資産が増えるにつれ、退職目標年齢は下がっていきました。最初は、55歳の役職定年のときに再雇用はしない、という考えで、役職定年までは勤めるつもりでした。
ところが、コロナショックで資産が急減し、その後、急回復、急上昇する中で、当初FIREの安全圏とみていた2億円への到達が、数年、下手すると2年くらいで到達できるのではないか、というところまで来ました。
ちょうどその頃はFIRE情報を収集しており、Youtubeを見たり、本を読んだりしていました。
決定的だったのは、Die with Zero
そんな中、Die with Zeroという本があることを知り、これがAudibleで配信されたら聴いてみようと待っていました。が、待ちきれず、Kindleで購入し、読みました。
これは私にはピッタリの本で、私はDie with Zeroの思想を気に入りました。
この本を読むことで、迷いがあったFIREへの決断ができました。
Die with Zeroで気に入っている考え方は人生の仕事は、思い出を残すことでも書いています。
が、それでも、まだ一抹の不安があり、まだどうするか少し考えていました。
最終的な決め手はイマジネーション
私の場合、人生の重要な帰路に立たされたとき、選択の基準にするのは「想像ができるか」ということでした。
最初にこれで決めたのは、大学生の時の研究室の選択のとき、私は工学系で、研究室はたくさんあったのですが、どの研究室に行くか、悩んでいました。そのとき、研究室に所属している私、をいろんな研究室に当てはめて考えてみました。
その結果、研究室での生活が想像できたところに行くことにしました。研究室での生活は、入る前に想像していたものと、おおよそ同じようなもので、想像通りの生活を送れました。
次は、就職のときです。
就職のときも、いくつかの選択肢がありました。このときも同じように、自分が働いていることが想像できるところを選んで就職しました。
次は、結婚のとき。
私はいわゆる婚活をして結婚したのですが、当時お付き合いをしていた彼女(今の奥さん)とデートする中で、結婚生活を想像できるか、ということを考えていました。プロポーズするか迷う気持ちもあったのですが、結婚生活を想像することが出来たことから、プロポーズを決心しました。
そして、今回のFIREです。
今回も自分がFIREしたあとの生活を想像してみました。実は最初からうまく想像出来たわけではなかったのですが、3月のあるとき、ありありと想像できたのです。それが決め手になりました。
また、同時に想像できない生活もありました。
それは、今の会社で昇格して仕事をしている姿です。
私はいま課長職にあるのですが、今後、部長職になって、課長を率いて、さらに多くの社員を率いていく、そんな姿を想像しようとしました。が、どうやっても想像できない。リアリティが持てない。
一方で、FIRE生活は想像できるようになってしまった。
これが、FIREを決心した最終的な理由です。
想像できるものは、何でも実現できる。
想像できるものは何でも実現できる、ということばを聞いたことがありますが、これはFIRE生活にもそのまま当てはまる、そんな事を考えています。
今はFIRE生活の想像のリアリティをいろいろなパターンで考えているところです。
おそらく、これからも人生の岐路に立ったときに、決め手になるのはイマジネーションだと思っています。
いま、私には実現したい葬式の姿があり、リアルにイメージできています。このイメージを実現する生き方をするのが、私のセカンドライフの目標です。