FIREについて思うこと

なんのために勉強するのか?

なんのために勉強するのか?

数ヶ月前に、とある人の勧めで喜多川泰さんという方の「賢者の本」という本を読んだのですが、それ以来喜多川さんの本のファンになり、最近は「手紙屋」を読んでいます。

「手紙屋」には就職編と受験編があるのですが、就職編を読み終わり、今は受験編を読んでいます。

その中で、主人公の女子高生が手紙屋から、「勉強はなんのための道具だろうか?」と問われて、いろいろと考えているシーンが有りました。

最初は、大学に行くため、とか、将来の職業の選択肢を広げるため、といった回答を考えていたのですが、彼女がたどり着いた答えは、「自分を鍛えるため」でした。

手紙屋は、この質問には1つの正しい回答はないとしながらも、彼自身の回答としては、「自分を鍛えるため」と同じ様は趣旨で、「自分をピカピカに磨くため」としていました。

私自身も自分の中の答えを考えながら読んでいたのですが、私の中の答えは、「自分の人生の舵取りを自分自身でするため」でした。

私は、自分の人生の舵取りは自分でしたい、という思いを強く持っていて、誰かが決めた人生を歩むのは嫌だし、人から言われて自分の人生を決めるのは嫌です。なにをするにも、自分で決めてやりたい、という思いを持っています。

勉強が嫌なのは、やらせれているから。

これはよく言われることですが、やはり、勉強というのは自分自身が学びたいと思ったことしか楽しくないし、続かないと思っています。学校の勉強でもそうですが、仕事においても会社から半ば強制的にやらされるような資格勉強やスキルアップの研修では、モチベーションがあまり上がらないことがしばしばです。

私自身は元来はチャレンジが好きな方で、学生時代は毎日2時間の英語勉強を自主的にしていて、就職時にはTOEICで850点まで上げていたのですが、これは完全に好きでやっていました。もちろん、楽しいばかりではなく、辛いときもありましたが、点数が伸びていくのが楽しかったというのもあり、続けていくことが出来ました。チャレンジしているときの自分が好きだった、というのもあります。

一方で、仕事の上でのチャレンジというのは嫌いです。なぜなら、自分からしたいチャレンジではなくて、業務上させられているチャレンジだから。

そういうこともあって、チャレンジが好きなはずの私が、仕事ではチャレンジはあまりしてきませんでした。(といっても、それなりにはしてきました。業務に関する資格も多数保有しています。)

ただ、やっぱり自分自身の思いとは違う気がしていて、自分らしくない生き方をしていると長らく感じています。

自分自身を取り戻すためのFIRE

私がFIREを決断したことの理由の一つに、自分の人生を自分の手に取り戻す。ということがあります。会社での仕事は、お金を稼ぐ手段としてはとても効率が良く、生活には必要なものになっていますが、自分らしい生き方か、と言われると甚だ疑問です。この仕事が自分の得意分野とも思えませんし、転職とも思えません。もちろん、それなりのアウトプットは出してきていて、それゆえに管理職に登用されているわけですが、部下に同じような道を勧めたいか、と問われると、正直自信がありません。

それゆえ、私はFIREをすることにしたのですが、FIREをした後は、自分自身で選んだチャレンジをして行こう、とそんなことを考えています。

私は、性分としてなにかに向かって立ち向かっていないと不安になってしまう方なので、FIREしたからといって毎日遊び回ったり、家でテレビゲームに耽るなんてことはできません。きっと何かに向かって努力してしまいます。

そんな自分を信じているからこそ、FIREしてもきっと大丈夫、とそんなことを思ったりします。

させられる勉強は嫌いですが、自分からする勉強は好きです。自分をピカピカにするため、そして、自分自身の人生の舵取りを自分でするために、いまから勉強をしていきます。

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